『人の命』の重要性-50年後

(ノボトニー・ジェローム、OMI)『フマネ・ヴィテ』は、ローマ教皇パウロ6世が1968年に書いた予言的回勅である。この回勅では避妊の文化とそれが社会に及ぼす甚大な影響についてカトリック教徒に警告している。それから50年、中絶、ピル、そしてノルプラントやRU-486などの堕胎薬によって小さな赤ん坊たちが殺される事態になっている。避妊と中絶が実際に関係していることに疑いの余地があるだろうか?

ジャネット・スミス教授は、間違いなく関係があると述べている。「避妊と中絶には、避妊が中絶につながるような関係性や行動を誘発する、という重要な関係がある。避妊することで、赤ん坊との自然なつながりを意識しない行為として性交をみなすようになる。赤ん坊を性交による『アクシデント』、性的関係への歓迎されない侵入者、負担と考えるのである。現代の性的活動には、性交と赤ん坊につながりを持たせるものがない。これは、避妊薬が利用されるようになるまでありえないことだった。」

『フマネ・ヴィテ』では、カトリック教会が避妊を否定する理由が説明されている。ローマ教皇パウロ6世は、避妊が広く慣習化されることの危険性を警告した。パウロ6世は、(1)結婚への不信感の拡大、(2)人間のセクシャリティの本質と社会における役割の混乱、(3)女性を性的快楽の対象として利用すること、(4)政府の強制的な産児制限方針、および(5)人間の体が人間を操作する道具におとしめられる、として警鐘をならした。今日、それはまさに現実となっている。

50年前の避妊を支持する議論では、中絶と未婚での出産が減少すると強く主張されていた。現実には、反対のことが起っている。WHOによると、中絶の数は、毎年、世界で4000~5000万件と推定されている。これは1日約125,000件に相当する。

著者であるメアリー・エバースタッドは、ノートルダム大学での講演において、1960年代の性革命、特に避妊の結果、中絶率が増加していると主張している。彼女は次のように述べている。「中絶や予定外の妊娠を防ぐどころか、避妊法の利用率、中絶率、未婚での出産率のすべてが同時に爆発的に増えている。」

私たちの社会は、性交を娯楽として扱っている。性交は単なる知り合いとでも楽しめる行為なのである。私たちの文化は、もはや性交を男女間の愛の適切な愛の表現と考えなくなっている。

現代人は、「アクシデントによる妊娠」という言葉を使う。性交による妊娠は予想すべきことではなく、アクシデントと考えているように思われる。しかし、アクシデントによる妊娠はありえないのだ。自動車事故や崖から転落することがアクシデントなのである。性交によって妊娠することは、起こるべくして起こることである。性交の主な目的は命を作り出すことである。

避妊をすることで、子供を作ることを考えずにセックスできると考えるようになる。セックスという行為が子供を作るという行為と全く別のものに思えるのだ。

『フマネ・ヴィテ』では、夫婦愛の完全性を保護し、セクシャリティを単なる快楽の方法におとしめる危険性を予言し、警告してきた。

パウロ6世は、驚くほど正確な予言をした。異論はあるが、カトリック教会は、避妊は結婚に深刻なダメージを与える行為であるという確固とした主張を続けている。

カトリック教徒は、避妊が(1)性交の善、(2)生殖の善、および(3)完全な結婚の善に悪い意味をもたらすという理由で避妊を非難している。

私たちが結婚などの制度によって提供される幸せを掴むのは神の計画である。神の意志を知り、理解し、実行する手伝いをするために教会はある。セクシャリティと結婚に関して、世界ではさまざまな混乱が生じているが、『フマネ・ヴィテ』は私たちの思考を明瞭にし、これからの世代が真実と愛に基づいて行動するサポートをしてくれるだろう。

ノボトニー・ジェローム神父

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