世界のキリスト教信仰と中絶?

ノボトニー • ジェリー OMI – 中絶への反対は、単なる「カトリック教徒の問題」ではなく、キリスト教の問題でもない。仏教徒、ヒンドゥー教徒、ジャイナ教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒、クリシュナ教徒、その他多くのキリスト教以外の信者が、宗教的な理由と世俗的な理由から中絶に反対している。

1950年頃までは、主なプロテスタント宗派はみな中絶に強く反対し、教会指導者たちは中絶を可能な限りきつい言葉で非難していた。聖職者らは、自分たちの教義が創始者の神学にしっかりと基づいたものであるとして、中絶賛成派の批判には動じなかった。

神学者ジャン・カルヴァンは次のように述べた。「人が自らの住む家で殺されることが恥ずべきことだと思われるならば、どんな人にとっても我が家は安全な場所であるのだから、子宮内の胎児を殺すことはどれほど恥ずべきことであろうか。胎児は、母親の子宮の中にいても、すでに1人の人間である。その命を、生きる楽しみを知らぬまま奪うことは、極悪非道の犯罪である。」

神学者マルティン・ルターは次のように書いた。「世界中の力を合わせたとしても、女性の子宮内に1人の子を受胎させることはできず、子を生ませることもできない。それは完全に神のみがなせる業である。」

今日の中絶に関する統計では、避妊を合法化している世界のすべての国は、最終的に中絶を合法化していることが示されている。この過程はキリスト教の教会にも当てはまる。英国国教会による1930年のランベス会議で避妊が認められた後、プロテスタントの教会が「強硬な中絶反対」から「中絶賛成派の積極的擁護」に転じるまでは時間の問題であった。注目すべきなのは、当時はこれら教会の大半の会員が妊娠中絶合法化に反対していたことである。

しかし、中絶賛成派の活動家やメディアは、「宗教団体の中でもローマカトリック教会と原理主義のユダヤ教およびプロテスタントの小規模グループのみが中絶の権利に反対している」というスローガンを絶えず繰り返した。 その結果、今日の大半のプロテスタント宗派は、中絶を社会的課題の1つとして長年にわたり積極的に受け入れてきた。

避妊、中絶、離婚を擁護する国や教会は、すぐに滅び始める。「主流派の」プロテスタント教会の会員が減少していることはまったく驚くべきことではない。このような教会はさまざまな自由主義の社会的取組みに非常に積極的な傾向があるが、崇拝と活動を混同している。胎児を殺すことを認め、道徳基準を示さない教会に属することにどのような意味があるのだろうか。

人々は真実を求めている。このため、妊娠中絶合法化に反対するカトリック教や福音派、モルモン教の教会の会員が爆発的に増加している。ある統計では、妊娠中絶合法化に反対する教会は米国だけでも会員が38%増加し9,670万人から1億3,390万人となった一方で、中絶賛成派の教会は同時期に会員が35%減少し、2,430万人から1,590万人となったことが示されている。

幸いなことに、この会員の激減によって中絶賛成派の教会の指導者らが現実に直面するようになった。彼らの説教の中では、人間の命がいかに「尊い」神の恵みであるかということが語られる。そして、誰もがこの問題について自分の考えを持たなければならず、一人一人の置かれた状況が異なっており、そのためどのような方法でも中絶を制限するような法律は可決されるべきではない、とすることで説教は終わる。つまり、これらの教会はすべての中絶のうち97%に反対すると主張している半面、その信念を行動に移すようなことは絶対にないのである。

彼らの説教のみを読むと、主流派のプロテスタント教会が概してメディアや妊娠中絶合法化支持派が私たちに伝えているよりもはるかに強く中絶に反対していることは明らかである。しかし、道徳基準をゆるめた後に再び厳しくすることは容易ではない。人々は自分たちの新しい「権利」や「自由」に、たとえそれが反道徳的であっても、慣れてしまっている。そのような「権利」や「自由」に依存し、それらのない生活が想像できなくなっている。

結論

世界の大多数の中絶に対しては、非常に強い宗教的コンセンサスがある。中絶への反対は、単なる「カトリック教徒の問題」ではない。 また、単なるキリスト教の問題でもない。仏教徒、ヒンドゥー教徒、ジャイナ教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒、クリシュナ教徒、その他多くのキリスト教以外の信者も、宗教的な理由と世俗的な理由から中絶に反対している。

妊娠中絶合法化に反対するカトリック教徒は、生命の元となるもののために他のグループに手を差しのべ、ともに取り組むことで得られることがたくさんあることに気付くであろう。多くの人がこれを実行すれば、中絶賛成派の動きはいつの日か、世界中のキリスト教徒とキリスト教徒以外の信者が中絶の中止に向けて力を合わせるという最低の悪夢に直面するだろう。

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