子どもたちへの戦争(第3回):飢餓-―「1800万人/

「この記事は、ノボトニー 神父による「子どもたちへの戦争」を繰り広げる大人の強迫観念を示す継続的なシリーズの一部です」

ノボトニー • ジェローム OMI パンデミックに対処する一方で、私たちは、人類の基本的価値観や、私たちをつなぐ人の絆について再発見する機会を得ました。私たちは、世界のことや自分たち自身について学ぶことができます。その一つとして、飢餓がどれほど重大なことであるか、ということが挙げられます。今日、世界では約7億人が毎晩空腹のまま眠りについています。そう、7億人もの人間がです。

世界ではどれくらいの子どもたちが飢えに苦しんでいるでしょうか?世界では現在、推定1800万人の子どもたちが極端な食糧不足に直面しています。このうち、5歳未満の幼児は570万人を超えており、餓死寸前の状態です。飢えのために命を落とす子どもは何人くらいでしょうか?毎年、300万人以上の子どもたちが飢えに関連する原因で亡くなっています。10秒に1人が飢えによって命を落としています。「セーブ・ザ・チルドレン」という団体によると、世界は今、21世紀最大の世界的飢餓の危機に直面しています。

世界で最も飢えに苦しむ人々がいるのは、シリアやイエメン、コンゴ民主共和国、アフガニスタンなどの国々です。例えば、(1)シリアでは1240万人以上が極端な貧困と飢えの中で暮らしています。飢餓のレベルは2019年から2020年末までに56%上昇しています。(2)イエメンでは1600万人以上が毎日飢えとともに目覚めています。それは、この国の人口の1/2を超える数です。(3)コンゴ民主共和国は、世界最大の飢餓の危機を迎えています。飢餓に苦しむ人の数は、2019年の1300万人から今日の2700万人以上へと急増しました。現在ではコンゴ国民の3人に1人が飢えに苦しんでいます。(4)アフガニスタンでは、5歳未満の幼児のほぼ2人に1人(310万人)が急性栄養不良で救命治療を必要としています。

飢餓が存在する国々では、子どもたちは常に最も弱い存在です。栄養のある食糧が十分になければ、子どもたちは身体的にも、精神的にも、心理的にも思うように成長することができず、急性栄養不良のリスクが高くなることが分かっています。これは、子どもたちの死や回復不能な損傷につながるおそれがあります。大きな問題は、「なぜ飢餓が存在するのか?」ということです。 この理由の一つは、十分な食糧が行き渡っていないことだと考えられます。

最近、ドイツ政府による研究で、2030年までに世界の飢餓を終結させるには3300億ドルかかるとの結論が出ました。つまり、1年あたりおよそ370億ドルが必要ということになります。その一方で、米国を例に挙げてみるとどうでしょうか。人々はレストランでの外食に6590億ドルを費やしています。アルコールにかける費用は年間2530億ドル以上です。さらに、ペットの食糧には約870億ドルを費やしており、これだけでも2025年までに世界の飢餓を終結させるには十分でしょう。

この例からどのような結論が導き出せるでしょうか?端的に言えば、「食糧不足は存在しない」と結論付けられます。行き渡らせるには十分な食糧があります。何らかの理由で、この食糧がそれを最も必要とする人々に届いていないのです。この世界的飢餓の危機の基本的な原因の一つは、人々が概して、空腹の人に食糧を与えるのは誰か他の人の問題であり、自分の問題ではないという姿勢でいることです。これこそがまさに「無関心」というものです。

このように感じているとすれば、私たちは新約聖書のイエスの言葉に注意深く耳を傾けていなかったのです。このような姿勢を取ることについて、イエスは何と言っているでしょうか?ヨハネによる福音書6章1~5節では、イエスとその弟子たちは5000人以上の飢えた群衆に出会います。イエスはその日を人々に教えと癒しを与えることに費やしました。しかし、イエスは彼らに食べ物を与えずに送り出すことを拒みます。そして夕方、イエスは弟子のピリポにこう言います。「この人たちに食べさせるのに十分な食糧をどこで買えばよいだろうか?」

聖マルコによる福音書では、イエスはさらに分かりやすくこのように言っています。「おまえたちがこの人たちに何か食べるものを与えなさい」。弟子たちは群衆が自力で生きていくよう送り出そうとしますが、イエスはそれを許しません。

ここで弟子たちの身になってみてください。ひどい飢えを目の当たりにして、イエスは弟子たちに向かってこう言います。「この人たちに何か食べるものを与えなさい」。私たちは、弟子たちのように無力感を覚え、自分たちにできることは何もないと考えるかもしれません。助けたくても、どこから始めればよいのか見当がつかないかもしれません。

キリストの信者としては、これは私たちの信仰が重要な役割を果たす場面です。イエスは、信仰を持つ者に不可能はないと断言しています。私たちは、愛をもってすればどんなことも神によって何倍にも増やされると信じています。ですから、私たちは自分一人では飢えを解決できなくても、行動を起こすことから始めることはでき、うまくいけば他人に行動を起こさせることもできます。

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緊急に行動を起こさなければ、何千人もの子どもたちが飢え死にしてしまいます。公平に分配すればすべての子どもと大人に与えるのに十分な食糧があるのですから、数百万人が栄養不良や飢餓に直面しているのは理不尽なことです。私たちにはこのような子どもたちの多くを救う機会がありますが、今すぐ行動を起こす必要があります」。私たちができることをいくつか見てみましょう。

(行動1):比較的豊かな国出身の私たちは、消費する食糧を減らすことができます。大人が通常1日に必要とする栄養摂取量は2000キロカロリー前後ですが、中流階級以上の平均摂取量は1日あたり約3600キロカロリー以上です。これは、このような人々の大半が食べるものを約半分にして暮らせるということです。上記の例に加え、米国人は毎年4000万トンの食糧を廃棄しています。食べ過ぎているだけでなく、食糧を買い過ぎていて、その多くを廃棄しているのです。私たち全員が、なんとかして食べる量を減らし、廃棄する量を減らせば、節約した分のお金を飢えた人々に奉仕する慈善団体に寄付することができます。

利点:ときには食べずに過ごすことも強力な精神修行となります。それによって意志を律することができ、思っているほど必要としていないことに気付かされます。断食することで食べずに過ごす人への共感が増します。

(行動2):もう一つできることは、空腹の人々に食糧を提供するホームレスセンターでボランティアとして働くことです。そのような施設が見つからなければ、自分たちで始めることもおそらくできます。

利点:このような取り組みは、空腹の人々に食事を提供するためだけでなく、私たちが支援している人々に直接会う機会が得られるため、重要です。そのような人々を顔のない統計上の数字としてとらえるのではなく、私たちとそれほど変わらない、希望も夢もある実在の人々として認識するのです。彼らと顔を合わせることで、貧しい人々についての偏見を克服することができます。彼らの状況を非難することは少なくなります。

(行動3):もう一つの提案は、祈ることです。イエスの言葉に耳を傾けると、弟子たちがイエスの助けなしでは何もできないことが分かってきます。イエスが彼らに奇跡をもたらさなければ彼らは決して群衆に食糧を与えることはできなかったでしょう。私たちにも同じことが言えます。

利点:私たちは、神の助けなしでは飢餓という問題への取り組みを始めることができません。神の前に身を置き、私たちがどのようにすればよいのか語ってくださるようお願いするだけでよいのです。神には私たちのための計画があります。神は私たちに、世界を変えることを求めています。私たちはただ、神が私たちのしなければならないことを明かすことができるよう、じっと時間を過ごす必要があります。

例:コルカタの聖テレサは、神による彼女の計画を示しました。コルカタのスラム街に足を踏み入れる前に、彼女は1時間かけて祈りました。彼女は、自分を通して務めを果たしているのは神であると分かっていました。実際に、彼女は、自身を神の手の中にある1本の鉛筆に過ぎないと言っています。彼女はこう語っています。「祈りは、願いではありません。祈りとは、神の思うままに神の手に身を委ね、心の奥深いところで神の声に耳を傾けることです」。祈りの中で神の声に耳を傾ければ、私たちはまわりの貧しい人々にどのように奉仕することを神が望んでいるか分かるでしょう。神は、私たちがそれを認識するかどうかにかかわらず、私たちの行いによって変化がもたらされるようにしてくださるでしょう。

最後に、詩篇145篇の中で神は次のように語っています。「主はみ手を開いて、すべての生けるものの願いを飽かせられます」。神は365回こう言います。「恐れてはならない」。神は、すべての人に十分な食べ物のある世界をお造りになりました。私たちの務めは、それを最も必要とする人々に確実に行き渡るようにすることです。裁きの日が来ると、私たちはみな、私たちの中の貧しい人々にどのように奉仕したかについて裁かれます。私たちはみな、ただ神の声に耳を傾け、神の言うことを信じ、一歩踏み出せば、それぞれが異なる役割を担っているのです。

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「本文への追記:世界的な飢餓と栄養不良の危機を本当に終わらせるには、国際社会が食糧不足や栄養不足の根本原因に対処しなければなりません。この点について、私の親友であるロン・パンツァーはいくつかの個人的見解を示しています。」

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世界の飢餓について

ロン・パンツァー

飢餓と餓死によって世界中の数百万人の人々が苦しむ必要はありません。幾度となく繰り返す飢餓と餓死を終わらせるリソースはあります。人々への課税によって調達される政府資金は、無用で害のあるあらゆる製品や活動、嗜癖に無駄遣いされています。人々もまた、どれほど裕福であっても、それぞれに無用で害のある多くの活動や嗜癖に浪費することを選択しています。

しかし、私たちが個人や国として持つものを単に誤用する以上のことが起こっています。今日では、政府指導者や多国籍企業のリーダーが戦うことによって世界での食糧の供給を積極的に妨げており、ロックダウンによって多くの企業や農場が廃業や長期間の操業停止に追い込まれています。これによって、消耗品や食糧の供給・輸送量が通常よりはるかに少なくなっています。

世界規模で人々の自由と福祉を積極的に妨げている多くの間違った政策は、見るに堪えません。彼らが積極的に推し進めているひどい苦しみについて考えると心が痛みますが、世界ではいつでも、このような悪が、沈み込んだ状況の中で人生そのものについてくる以上の苦しみで人々を襲ってきました。

多くの国々を広く旅したことのある人は、最貧困層を目にしたことがあります。米国で食料雑貨店やその他の店の中を歩いていると、世界中の貧しい人々のことが思い浮かびます。文字通り飢え、辛うじて生き延びている人は本当に多く、世話をする人がいないため路上で行き倒れている人もいます。私たちは彼らがどん底で苦しんでいるのを見ました。彼らは脱水状態で、目は絶望で満たされ、やせ衰えており、すべてに見捨てられているのです。

世界の多くの場所を旅したことのある人は、気前の良い愛情のこもった新しい友人たちにとても親切にもてなされたことがあると思いますが、時には汚染された水を飲んでひどく具合が悪くなったこともあると思います。なかには完全に意識を失い何日も体調不良が続いた人もいるかもしれません。このような友人や医療スタッフの手厚い看護のおかげで、汚染された水を飲んだだけで死ぬことから救われた人もいたでしょう。

先進国の人々は、きれいな水や衛生的な状態を当たり前のことだと考えていますが、水処理施設や下水処理、ごみ収集、清潔な食品処理施設の恩恵を受けることなく、ひどい状況の中で苦しんでいる人はたくさんいます。人々がこれについて他の人のために何かしようと思わないのはどれほどおかしなことでしょう。私たちがみな、本質的に利己的であり、神の恵みのみによって利己的で醜い自分を戒められることは確かです。

持てるものに感謝しない人がどれほど多いことでしょうか。そして、多くの人は「所有する」ものにひどく固執しています(死ぬときにはそのすべてが他人に渡るというのに)。

ですから、貧しい人はより貧しく、裕福な人はより裕福になっていくのです。そうでなかったことはあるでしょうか?そして、中流階級の人々は、物質的な所有物にとらわれていることも多くあります。しかし、中流階級の人々は、今日の世界中の政府の「上層部」から課された政策のもとでどれくらい長く存在することを許されるでしょうか?受け入れがたいかもしれませんが、非常に裕福な上流階級が懸命に中流階級を滅ぼそうとしているため、実務家内閣や未来の世界政府を操る超富裕層に頼り、この世界で顕在化しようとしているのがほぼ貧困層のみになることは日々明白になっています。これは、さらなる富と権力への貪欲さに触発された狂気です。

私たちはそれぞれ生活を送り、家を整え維持し、多くのものを取得していますが、本当にそんなに多くのものが必要でしょうか?私たちは、自分の家のことについて、それが他人にどう見えるかについて、あるいはどんなものを着て他人にどのように見せるか、他人がどう思うか、そんなに気にすべきでしょうか?私たちがこのようなことについて気を配るのは私たちの本質の一部ですが、私たちは、親愛なる主イエスが私たちのすることや言うこと、考えることについてどう思うかについても考えているでしょうか?

主が私たちにどこかほかで奉仕するよう求めたなら、私たちはいつでも知っていることや持っているものすべてから逃れられるようにすべきである、ということは分かります。しかしこれができる人は何人いるでしょうか?本当に神を愛し、神の神聖な手で触れられることを繰り返し熱望し、神とともにあることを望む人だけが、絶えず神の愛に満たされるのです。

何が起きようと、それは常に、多かれ少なかれ何らかの方法で世の中を動かす役割を果たす個々の役者である私たち一人一人に降りかかってくるものです。私たちは、良くも悪くも、世界を変えることができるのです。

どちらかを選ぶのは、私であり、あなたであり、世界の一人一人です。私は、私たちが互いを思いやり、世界の人々の苦しみを和らげるためそれぞれの役割を果たすことを選択するよう祈っています。

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インドネシア: 飢餓は待つことができない

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