子どもに対する戦争(第7回):物乞いの強要 – 「盗まれた命」

ホームレス:三人の子どもと母

ノボトニー • ジェローム OMI – あなたならどうしますか?たとえば、大都市の通りを歩いていて、母親と子どもが路上に座っているのを目にしたら。子どもはとても具合が悪そうに見え、金受け用の缶を差し出し、必死に助けを求めています。

「プロライフ」の活動で、私はアジアの多くの貧しい国々を訪れています。 物乞いをする子どもたちの姿は、消え去ることのない記憶です。7歳や10歳の幼い子どもが赤ん坊を抱いて歩き、昼夜を問わず、観光客に物乞いをし、赤ん坊のための食糧を買ってくれと懇願します。私の一番最初の経験は、スリランカでコロンボのホテルに向かう途中でした。タクシーが赤信号で止まりました。突然、おそらく6歳から9歳ぐらいの3人の子どもたちが、物乞いをしながらタクシーの窓を強く叩きだしました。今でもその手を差し出す子どもたちの悲しそうな目を思い出すことができます。運転手はあっちに行けと怒鳴り、窓を開けることを拒みました。タクシーがスピードを上げると、運転手は子どもたちがほとんどの金を着服するギャングの一員であると言って、自分の行動の言い訳をしました。

お金を物乞い

インドネシアでのセミナーを終えて、私は出発前夜に何かお土産を買おうと買い物に出かけました。インドネシアで貧困率がもっとも低いジャカルタの旧市街で通りを歩いていると、若者やお年寄りなど多くの人々の生活水準や貧困を目にすることができました。後に、私はインドネシアでは2,800万人を超える人々が貧困レベルより下の生活を送っていると推定されていることを知りました。ショッピングセンターの方に向かうために角を曲がると、薄汚れた服を着た母親が、悪臭を放つ街角で子どもに乳をやり、その横に2人の幼い子どもが立っている光景に出会いました。年かさの方の子どもが弟の手を握り、私に近づいてきて、物乞いをしながら手を差し出しました。この家族の光景は、極度の貧困の1例を示すものです。私は自然な感情に従って、いくらかのインドネシアルピアを寄付しました。

子供たちの家

私は幾度となく、アジアで物乞いをする子どもたちにお金を与えるべきではないと教えられていました。ストリート・チルドレンにお金を与えることは、実際は彼らを傷つけることだという説明は受け入れ難いものです。特に、お腹をすかせた目で見つめられた時には。拒絶するのはとても難しいことです。カンボジアでは、市場の地域で小さな泥だらけの顔の少年が私に近づいてきて、手を口に持っていくジェスチャーで物乞いをしました。カンボジア人の通訳は、この時も私がその子どもに1,000カンボジアリエル(日本円で27円、米ドルで24セントに相当する額)を与えるのをやめようとさせました。この行為は、一瞬だけ、次のブロックで子どもを連れた2人の母親が物乞いをしていて、次から次へとそのような光景を目にするまでは、私を良い気分にさせてくれました。

セネガルでは、毎日、国の路上で推定50,000人の子どもが物乞いを強制されています。GoogleやBingで食糧などを物乞いする子どもがいる国について検索すると、リストは延々と続きます。

子どもの物乞いとは何でしょう? 貧困にあえぐ多くの国々、特にアジアでは、物乞いを強制される子どもは有名です。これは、親やその他の大人のグループが、子どもたちを路上に送りだし、観光客相手に物乞いをさせていることを意味します。これは表面上、とても残酷に聞こえます。子どもの物乞いは、この状況で強要される子どもたちに大きなダメージを与えますが、このような子どもたちが極度の貧困に苦しむ多くの家族の生活を支えてもいるのです。問題なのは、物乞いの強要により、子どもたちが無力で虐待を受けやすい状態のままに置かれることです。物乞いは児童人身売買に関わっているため、実際に何人の子どもが物乞いの強要の犠牲となっているかを記録することは困難であり、この問題に関するデータはほんのわずかしか存在しません。物乞いの強要が貧しい国々で行われていることはわかっています。

あなたならどうしますか

ユニセフ(UNICEF:国連児童基金)が発表したデータによると、世界でもっとも貧しい国々において、わずか5人に1人を超える程度の子どもが児童労働を行っていることになります。物乞いを強要される子どもの割合を推定するのは困難でしょうか?それは国における貧困レベルによって異なります。例として、インドについて見てみましょう。インド国内では、30万人を超える子どもの物乞いがいます。子どもの物乞いの状況改善の取り組みを行っているスワタン・シン氏は次のように述べています。「このような子どもたちは、様々な理由で路上に出て物乞いを行っていますが、その理由は主に貧困と不安定な家庭です。子どもたちはより良い生活を手に入れるための教育やトレーニングを受けておらず、結局は職業として物乞いを選ぶことになります。」物乞いを強要される少女は、性的虐待も受けていたり、売春に追いこまれたりする一方、少年では物乞いが利益が大きいことがわかります。

物乞いをしている子どもたちはどのようなリスクに直面するのでしょう?

子どもの物乞いは、児童労働の最悪の形態というだけでなく、子どもの人権に反するもっとも悪質なものであり、子どもの尊厳を大きく傷つけるものの1つです。物乞いに子どもを利用することは – 子どもが「親」に連れられているか否かにかかわらず – 保護、品位や尊厳などの基本的な権利を否定するものです。 差し迫ったリスクには、身体的および精神的虐待、誘拐、レイプおよび事故等があります。 長期的なリスクには… その他の危険な仕事や劣悪な状況(売春、強制労働、危険な移住)を強制されることとともに、この困難な生活様式の苦痛を和らげるための薬物使用率の増加、犯罪へ関与に加えて家族やコミュニティとの断絶などがあります。

子どもの権利条約。それは何ですか?何を守ろうとしているのですか?国連による子どもの権利条約は、各国が子どもの権利の保護を約束した重要な条約です。同条約では、子どもとは誰を指すのか、子どものすべての権利および政府の責任を説明しています。以下からダウンロードしてお読みください:「The Convention on the Rights of the Child: The children’s version(子どもの権利条約:子ども版)」

国連の子どもの権利条約の主要な4つの側面は、以下の5つの核となる原則に要約されます:(1)差別の禁止、(2)子どもの最善の利益への献身、(3)生命への権利、(4)生存、(5)発達。 つまり、食べ物、住む場所、適切な医療施設、スポーツ、娯楽、愛やケアが子どもの基本的なニーズを構成しており、これらが発達や個人の成長に必要です。このためこれらの要素が「子どもの権利」に該当します。

国連の子どもの権利は?

貧困に苦しんでいない人々や国も関与しなければなりません。このような人々は、子どもの物乞いが必ず教育を受けられるようにしなければなりません。これはこれらの物乞いをする子どもを路上からなくす不可欠なステップです。また、貧困の原因についても攻撃しなければなりません。フランシス教皇は、最近、すべての人々はもっとも弱い人々、つまり移民、避難民、強制移住者、人身売買(子どもの物乞い)の犠牲者や打ち捨てられた者に、偏見や怖れを持たずに歩み寄り、共に歩いていくのです」と述べられました。

聖書には、信仰なくして神を喜ばすことは不可能であり、神を信じない者は非難を受けるだろう、とあります。 (ヘブライ人への手紙 11:6、マルコによる福音書 116:16.) 信仰によってのみ義とされるのでしょうか?違います。「霊魂のない身体が死んだものであると同様に、行いのない信仰も死んだものなのです。」 (ヤコブへの手紙 2:26.) このことから、信じるのであれば、信仰とともに善い行いをしなければならないと結論づけられます。善い行いの伴わない信仰は、死んだ信仰です。「あなたに山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ無に等しい」(コリント人への第一の手紙 13:2)。「あなたがたによく言っておく。これらのもっとも小さい者のひとりにしなかったのは、すなわち、私にしなかったのである」(マタイによる福音書 25:45.)。

あなたはどう答えますか?フランシス教皇は以下のことを推奨しています:

私たちは、神が私たち一人一人に問いかけられることを知っています:兄妹のために何を成したか?と(参照:創世記 4:9-10)。無関心のグローバル化は、現在、私たちの非常に多くの兄弟や姉妹の命の負担となっており、弱き人々が新たな希望が持つことのできる、また、現代における問題の中で、彼らが示すことができ、神が私たちの手に残してくださった新たな地平線に向かって勇気をもって前進することができるよう、私たち皆で新たな世界全体の連帯や友愛を構築する必要があります。

フランシス教皇はEvangelii Gaudium(福音の喜び)という著書の中で続けます:

私たち全員が神の叫びを聞くことができればと願います:「弟はどこですか?」(創世記4:9)。奴隷にされたあなたの弟や妹はどこですか?秘密の倉庫、売春組織、物乞いに利用されている子どもたち、不当な違法労働などであなたが毎日殺している兄弟や姉妹はどこですか?見て見ぬふりをしないでください。私たちが考えるよりも多くの共犯者がいます。この問題にはすべての人々が関わっているのです!この悪名高い犯罪ネットワークは現在私たちの街で安定した基盤を持っており、多くの人々が快適さや沈黙という名の共犯を犯し、その手が血塗られています。」

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