子どもに対する戦争:気候変動 ―「OP25の前と後」(パート8)

(この記事は、「子どもたちへの戦争」を引き起こしている大人の強迫観念を明らかにするノボトニー 神父による継続中のシリーズの一部です。)

ノボトニー • ジェローム OMI – (COP25の前) – 「あなたは老衰で死に、私たちは気候変動で死ぬだろう!」 気候変動に対応する政治家の無関心に若者たちが反撃しています。「私たちが欲しいものは何か? 気候の公正さだ! いつ欲しいのか? 今だ!」COP26の「ユースデー」に合わせて街に繰り出した何千人もの抗議者たちの訴えが、グラスゴーの中心街に響き渡りました。若いリーダーたちは、自分たちの声を届けるために最善を尽くし、気候変動対策の現状や、一部の人が主張している「気候に対する無策」への不満を訴えました。幼い子どもたちもデモに参加しました。そのうちの一人は、UN Newsに「気候変動は宿題よりひどい」と語っていました。

(COP25の後) – 2021年の年末近く、第26回国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP26)は政治家によって延期され、マスメディアからもほとんど忘れ去られています。こうした姿勢に警鐘を鳴らすべく、国連の人権問題の専門家たちは、参加者たちに対して「約束から行動へ移ろう」と緊急の呼びかけを行いました。30人以上の国連の専門家たちが、先月グラスゴーで行われた公約 ― 例えば、2030年までに森林破壊を終わらせるための100の誓約、この10年の終わりまでにメタンの排出を30%削減すること、各国に年単位で公約を強化することを求めるラチェット・システムを確立することなど ― について、透明性の向上と厳格なフォローアップを求める声明に支持を表明したのです。

さらに専門家たちは、「だが、世界の最大かつ最も裕福な経済国は、地球温暖化を1.5℃に抑えるために十分な堅い決意をすることができなかった」と指摘し、「会議はまた、損失と損害に関する資金について十分な進展を確保できず、多くの気候変動の影響を受けやすい国々が、クリーンなエネルギーへの転換やますます激しくなる気象災害に対処するために必要な資源がないままになっている」と付け加えました。(全文はUN Newsをお読みください)

経済・社会開発、貧困削減、食糧安全保障は、開発途上国の最優先事項のひとつであり、最も重要な優先課題です。「COP25の前」で書いたように、若いリーダーたちは、気候変動対策の現状や、一部の人が主張している「気候に対する無策」への不満を訴え、自分たちの声を届けるために最善を尽くしました。より正確に言うなら、「高給をもらいながら、やっているのはカメラに向かって笑顔を見せるだけ」という政治家の無気力への不満、と言えるかもしれません。「COP25の前と後で」、何が変わったのでしょうか?

豊かな国々は無責任だ。彼らは、大気中のCO2の86%を排出する最大のCO2排出国です。低所得国の排出量はわずか14%。フィリピンの排出量は1%です。世界人口の9%を占める最貧国は、温室効果ガスの0.5%を排出しているにすぎません。金持ちは約束を果たすだろうか? 英国のボリス・ジョンソン首相は代表団に対し、「気候変動への取り組みに関しては、行動を伴わず、実践のない言葉は全く無意味である」と述べた。その後、彼はプライベートフライトでロンドンに向かい、ウェスト・カンブリアでの新しい炭鉱の開設を承認しそうだ。もしこれが、約束や公約がどうなるかを示すものであるなら、私たちは最悪の事態に備えなければならない。

気候変動は徐々に、私たちの現在のライフスタイルを変化させている。激しい干ばつ、頻発する嵐、熱波、海面上昇、氷河の融解、海洋の温暖化は、野生生物に直接被害を与え、人々の生活に大きな破壊をもたらしています。特にアジアとアフリカに住む人々は、世界で最も貧しく弱い立場にある子どもたちが暮らしています。WHOは、気候変動による病気や怪我、死亡の80%は5歳以下の貧しい子どもたちであると推定しています。

全世界では、5億人を超える子どもたちが極めて水位の高い洪水地域に住むことを余儀なくされ、約1億6,000万人が極めて危険度の高い干ばつ地域に住んでいます。鉄砲水や強烈な乾燥は、徐々に世界中のすべての子どもに影響を与えるようになりますが、上記の80%の子どもたちは、今現在苦しんでおり、非常に危険で先行き不安な未来に直面しているのです。

バングラデシュの1,900万人の子どもたちは、極めて水位の高い洪水に定期的に見舞われています。その原因は例えば、(1)海面上昇と塩水流入、(2)大雨、雪、雹による一定時間における水量、(3)サイクロン数の増加、などです。このような地球温暖化により、バングラデシュでは淡水の供給制限が続き、特に子どもや乳幼児にさまざまな健康被害が発生しています。

また、気候変動がすでに現実のものとなっているマーシャル諸島で育つ子どもたちの例も紹介します。海面が20cm上昇し、浸食と洪水が発生しています。今後25年の間に、マーシャル諸島は人が住めなくなり、5万人の住民は家や文化遺産を捨てて別の場所に移住せざるを得なくなるでしょう。

気候変動とは何か、その原因は?

気候変動とは、ある地域や大陸における気温や典型的な気象パターンが長期的に変化することです。… 気候変動の主たる原因は人間の活動です。例えば、天然ガスや石油、石炭などの化石燃料を燃やすこと。これらの物質を燃やすと、地球の大気中に温室効果ガスと呼ばれるものが放出されます。私たちは、人為的な気候変動は将来起こるものと考えがちですが、実際には、現在進行形で人々の生活を脅かしているのです。

気候変動は、子どもたちにどのような影響を与えるのでしょうか?

どのような危機においても、いちばんに被害を受けるのは子どもたちです。気候変動も例外ではありません。干ばつや洪水が深刻化し、食糧生産が低下すると、子どもたちが飢えと栄養失調の最大の負担を負うのです。(参照:子どもたちへの戦争(第3回):飢餓−1800万人が飢えている) 気温が上昇し、水不足や大気汚染が進むと、子どもたちは水に関連する病気や危険な呼吸器疾患によって最も深刻な影響を受けるようになります。さらなる異常気象パターンによって、子どもたちは最も高い代償を払わされ、彼らの将来の生活も破壊されるでしょう。

子どもは小さな大人ではないことを自覚しなければなりません

1。子どもの免疫系や臓器はまだ発達途上であり、体は小さくても食べたり飲んだりする量は多い。

2。大人よりも呼吸が速く、肺を傷める危険な大気汚染物質にさらされることが多い。

3。気候変動により、熱波がより暑く、より長くなり、子どもが戸外で遊ぶことが危険となる可能性がある。

4。気候変動は、子どもの身体的健康だけでなく、精神的健康にも直接影響を及ぼす。調査によると、現代の子どもたちは、山火事、嵐、洪水、干ばつなど、祖父母の時代の3倍近い数の気候災害に直面している。

子どもと気候変動」第26巻より抜粋:「猛暑、干ばつ、自然災害の直接的な影響は、大人よりも子どもが受けやすい。また、気候変動の間接的な影響が子どもの発達の軌道を狂わせます。例えば、紛争、媒介動物による病気、経済的混乱、栄養不良、移住などによって、子どもたちは与えられた力を十分に発揮することが難しくなります。社会的混乱が起これば、社会の最も脆弱な構成員である子どもたちは間違いなく、被害を受けます。気候変動に伴って社会が大きく変化すれば、子どもたちは特に深刻な影響を受けるでしょう。」

気候変動による環境の破壊に伴い、子どもたちはますます危険な環境で成長することを余儀なくされています。子どもたちの生存、発達、栄養、教育、医療へのアクセスは、「子どもの権利条約」で保障された「子どもの人権」です。大人の世界には、この条約にあるような未来の環境をつくる責任があります。そうすることが、人類としての生存を守ることになるのです。

カトリック教会は気候変動にどのように対応しているのでしょうか?

カトリック教会の教えでは、地球への配慮は単なるアースデイのスローガンではなく、私たちの信仰の必要条件であると主張しています。私たちは、人間と地球を保護し、神の創造物のすべてとのかかわりの中で信仰を生きるよう求められているのです。この環境的な気候変動には、無視できない基本的な道徳および倫理的側面があります。

教皇フランシスコ

教皇フランシスコは「アッシジの貧しい人」を「平和の人、貧しい人、被造物を愛し守る人」、言い換えればインテグラル・エコロジー(総合的なエコロジー)を体現する人と表現しています。被造物への配慮、気候変動への懸念は、間違いなくプロ・ライフの問題です。「気候は万人のものであり、万人のためのものです。地球レベルでは、それは人間の生活に不可欠な条件の多くに関連する複雑なシステムです。」(教皇フランシスコ『回勅 ラウダート・シ』、2015年6月)

『ラウダート・シ』は、教皇フランシスコによって書かれた回勅で、2015年6月18日に発表されました。「熱心でよく祈ってはいても、現実主義や実用主義にかこつけて、環境への関心を嘲笑しようとするキリスト者たちがいるということも知らねばなりません。他方、消極的なキリスト者もいます。自分の習慣を変えようとしない、一貫性に欠ける人たちです。したがって、そうした人々皆に必要なのは、「エコロジカルな回心」であり、それは、イエス・キリストとの出会いがもたらすものを周りの世界とのかかわりの中であかしさせます。神の作品の保護者たれ、との召命を生きることは、徳のある生活には欠かせないことであり、キリスト者としての経験にとって任意の、あるいは副次的な要素ではありません。」(教皇フランシスコ『回勅 ラウダート・シ』217)

『ラウダート・シ』の2021年の具体的な関わりをご覧ください。『ラウダート・シ』は、再生可能エネルギーへの移行を促しています

外交団との謁見:「物心両面での貧困との戦い、平和の構築、橋の建設、これらはいわば、ここにいる各国の代表者に呼びかけたい旅の基準点です。しかし、もし私たちがこの世界に対する愛を育むことを学ばないならば、旅は困難なものとなるでしょう。この点でも、被造物全体に対する深い尊敬と、環境を守ることを教えてくれるフランシスコの名を思い浮かべることが助けとなります。誰もがしばしば、環境を良いもののために用いるのではなく、貪欲に開発し、お互いの損失になっているから。」(教皇フランシスコ、外交団との謁見)

「世界平和の日」のメッセージ:「友愛は自然の保護と育成に役立ちます。人類は創造主から自然という贈り物を受け取りました。創造についてのキリスト者の見方は、もしそれが益となり責任をもってなされるならば、つまり、自然に刻まれた “文法” を理解し、すべての生き物と生態系に占めるその位置の美しさ、最終性、有用性を尊重し、すべての人の利益のために資源を賢く利用することによってなされるならば、自然に介入するのは妥当だとする立場に立つものです。自然とは、一言で言えば、私たちの手の届くところにあり、私たちはその自然に対して責任をもって管理をするよう求められているのです。しかし、私たちはしばしば欲に駆られ、支配、所有、操作、搾取といった傲慢さによって、自然を保護せず、自然を尊重しません。そうではなく、自然を恵み深い贈り物と考え、未来の世代も含めた私たちの兄弟姉妹のために世話をし、奉仕しなければならないのです。」(2014年1月、「世界平和の日祝賀のためのフランシスコ法王メッセージ」9)

聖書のことば:

聖書は、被造物は神がお造りになった良い贈り物であり、それを管理するよう私たちを招いておられることを明らかにしています。聖書を通して、私たちは神が創造された素晴らしい世界に対する神のビジョンを知って、感謝するようになります。(以下に引用するのは日本聖書協会発行の新共同訳聖書による。)

「主なる神は、人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、そこを耕し、守るようにされた。」(創世記2:15)

「主よ、御業はいかにおびただしいことか。あなたはすべてを知恵によって成し遂げられた。地はお造りになったものに満ちている。」(詩篇104:24)

「被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。」(ローマの信徒への手紙8:20)

イエスはその宣教を通して、教え、たとえ話、祈りの中に被造物を織り込みました。イエスは、私たちがどのように互いに愛し合うべきか、またそれを実践することで、私たちが大切にしなければならない神の贈り物のすばらしさを確信するということを、しばしば被造物を用いて説明しました。

「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種は茨の中に落ちた。すると茨が伸びて覆いふさいだので、実を結ばなかった。また、ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは30倍、あるものは60倍、あるものは100倍にもなった」。そして、「聞く耳のある者は聞きなさい」と言われた。(マルコによる福音書4:3〜9)

結論として、今日、私たちの子どもたちが直面している脅威は現実であり、私がこの文章を書いている間にも進行しているのです。今、私たちが気候の危機を食い止めるために力強く行動しないかぎり、危険は拡大する一方でしょう。子どもたちの将来は想像するのはあまりにも辛く、多くの大人はそのことを考えたくもないと思っています。大人として、私たちは生産と消費の方法について、これまでとは異なるアプローチをとる必要があります。地球を守ることと子どもたちを守ることとは密接に関連しており、今すぐに行動を起こせば、どちらも達成できるのです。

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(教皇フランシスコを通して私たちを導き、語りかける聖霊に耳を傾けつつ、私は最後に、この世の守護者である「聖ヨセフの祝日」に教皇フランシスコが行った説教を紹介したいと思います。)

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親愛なる兄弟姉妹の皆さん

聖母マリアの配偶者であり、普遍的な教会の守護者である聖ヨセフの祝日に、私のペトロ職就任のためのこの聖なるミサを行うことができることを、主に感謝します。これは意味深い偶然であり、また、私の敬愛する前任者の聖名祝日でもあります。私たちは愛情と感謝に満ちた祈りをもって彼に寄り添います。

兄弟である枢機卿、司教、司祭、助祭、男女修道者、そしてすべての信徒の皆さんを心から歓迎いたします。他の教会や教会共同体の代表者、ユダヤ人共同体や他の宗教共同体の代表者の方々のご臨席に感謝します。各国首脳、世界各国からの公式代表団の皆様、そして外交団の皆様に、心からのご挨拶を申し上げます。

福音書には、「ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れた」(マタイによる福音書1:24)と記されています。この言葉によって早くも、神がヨセフに託した使命が示されています。彼は管理人(custos)、すなわち保護者(protector)となるのです。誰の保護者でしょう? マリアとイエスのです。しかし、福者ヨハネ・パウロ2世が指摘しているように、この保護は教会にも及んでいるのです。「聖ヨセフはマリアをやさしく世話し、イエス・キリストの養育のために喜んで自らを捧げたように、キリストの神秘体である教会を見守り、保護したが、聖母マリアは教会の雛形といえる。」(Redemptoris Custos, 1)

ヨセフは保護者としての役割をどのように果たしているでしょうか? 控えめに、謙虚に、静かに、しかも、自分には理解できない時にあっても、揺るぎない存在感と完全な忠誠心をもって。マリアとの婚約から、12歳のイエスがエルサレム神殿で発見されるまで、彼はどんな時もやさしく気づかいながらそこにいました。マリアの配偶者として、彼は良い時も悪い時も彼女の側にいる ー 国勢調査のためにベツレヘムに向かう時も、彼女が出産する不安と喜びの時も、エジプトへの逃避行のドラマの中でも、神殿で自分たちの子どもを必死に探す時も、その後のナザレの家での日々の生活の中でも、イエスに自分の仕事を教える作業場でも。

ヨセフは、マリアとイエスと教会の守護者としての召命にどのように応えているのでしょうか? それは、常に神に心を配り、神の存在のしるしに心を開き、自分の計画だけでなく、神の計画を受け入れることによってです。それこそ、第一朗読で聞いたように、神がダビデに求めたものです。神は人が建てた家ではなく、神の言葉、神の計画に対する忠実さを求めておられるのです。家を建てるのは神ご自身ですが、神の霊によって封印された生きた石から建てるのです。ヨセフは神の声を聞き、神の意志に導かれるからこそ、「保護者」であり、だからこそ、自分の保護下に置かれた人々に対して、より敏感に反応することができるのです。彼は現実的に物事を見ることができ、周囲と接し、真に賢明な決断を下すことができます。親愛なる友人たちよ、私たちは彼の中に、神の呼びかけにどう応えればよいかを学び、また、キリスト者の召命の核心であるキリストを見るのです。私たちの生活の中でキリストを守り、それによって他の人々を守り、また、被造物を守ろうではありませんか。

しかし、「保護者」になるという召命は、私たちキリスト者だけのものではなく、それ以前に、人間的な、すべての人を巻き込む次元を持っているのです。それは、創世記が語るように、またアシジの聖フランシスコが示したように、すべての被造物、すなわち被造世界の美を守ることを意味します。そしてまた、神の被造物をそれぞれ尊重し、私たちの住む環境を大切にすることを意味します。さらにそれは、人々を守ることであり、一人ひとりの人々、特に子どもたちや高齢者、困っている人々など、私たちが最も関心を持たない人々に愛情をもって関心を示すことを意味します。まず夫と妻がお互いを守り、次に親として子どもを守り、やがて子どものほうが親を守るようになるのです。それは、信頼と尊敬と善意でお互いを守り合う、誠実な友情を築くことです。結局、すべては私たちの保護に委ねられており、私たち全員がその責任を負っているのです。神様の贈り物の保護者でありましょう。

人間がこの責任を果たさないとき、被造物や兄弟姉妹への配慮を怠るとき、破壊への道が開かれ、心が硬くなるのです。悲しいことに、どの時代にも、死を企て、破壊をもたらし、人々の顔色をうかがう「ヘロデ」が存在するのです。

経済、政治、社会で責任ある立場にある人たち、そしてすべての善意の人たちに、お願いします。どうか、被造物の「保護者」、自然に刻まれた神の計画の「守り手」、お互いのそして環境の「保護者」になりましょう。破壊と死の予兆がこの世の進歩に伴うことを許さないようにしようではありませんか。しかし、「保護者」であるためには、私たち自身をも監視しなければなりません。憎しみ、妬み、プライドが私たちのいのちを汚すことを忘れてはなりません。というのも、私たちの心は善意と悪意を宿しているのです。すなわち、人を育てる心と、傷つける心です。私たちは、善良さや優しさを恐れてはなりません。

ここでもう一つ付け加えると、世話すること、守ることは善を求め、ある種の優しさを必要とするのです。福音書の中で、聖ヨセフは強く勇敢な男、働く男として登場しますが、彼の心の中には大きな優しさが見られます。これは弱者の美徳ではなく、むしろ精神の強さと、心配り、思いやり、他人への真の開放性、愛の能力の表れなのです。私たちは、善良さや優しさを恐れてはなりません。

今日、私たちは聖ヨセフの祝日とともに、ペトロの後継者であるローマ教皇の務めの開始を祝っていますが、この務めはある種の力を伴うものでもあります。確かにイエス・キリストはペトロに力を授けましたが、それはどのような力だったのでしょうか。イエスはペテロに愛について3回、質問をし、その後に3度、命じています。「私の小羊を飼いなさい、私の羊を飼いなさい」と。本物の力は奉仕であり、教皇もまた、力を行使するときには、十字架上で輝ける頂点にある奉仕に、これまで以上に完全に入らなければならないことを、私たちは決して忘れてはならないのです。教皇は、聖ヨセフの特徴であった謙遜で、現実的で、忠実な奉仕に触発され、彼のように、神の民すべてを守るために腕を広げ、人類全体、特に最も貧しい人、最も弱い人、最も重要でない人、マテオが愛の最終審判に挙げている人、飢えた人、乾いた人、よそ者、裸の人、病人、囚人に対し優しい愛情をもって抱きしめなくてはなりません(マタイによる福音書25:31-46を参照)。愛をもって仕える者だけが、守ることができるのです

第2朗読では、聖パウロがアブラハムのことを語っています。彼は「希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じた」(ローマの信徒への手紙4:18)のです。望みなき時に望みを抱く!? 今日もまた、多くの暗闇の中にあって、私たちは希望の光を見て、他の人々に希望をもたらす人になる必要があります。被造物を守ること、すべての男性も女性も守ること、優しさと愛をもって彼らを見守ることは、希望の地平を切り開くことであり、重い雲を突き破る光線を通すことであり、希望の暖かさをもたらすことなのです。信じる者にとって、私たちキリスト者にとって、アブラハムや聖ヨセフと同様、私たちがもたらす希望は、キリストにおいて私たちの前に開かれた、神の地平線に向かって掲げられるものです。それは神である岩の上に打ち立てられる希望なのです。

マリアとともにイエスを守ること、被造物全体を守ること、一人ひとりを守ること、特に最も貧しい人々を守ること、私たち自身を守ること ー それはローマ司教団が行うように求められている奉仕ですが、希望の星を明るく輝かせるために、私たち全員に求められているものでもあります。私たちは、神が私たちに与えてくださったすべてのものを、愛をもって守ろうではありませんか。

聖霊が私の職務に伴ってくださいますように、聖母マリア、聖ヨセフ、聖ペトロと聖パウロ、聖フランシスコの執り成しを願います。また、皆さんにお願いします。どうぞ私のために祈ってください。アーメン。

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英語原文投稿 2021年11月10日

翻訳日 2022年7月25日
翻訳者 西野 翠 / 大岡 滋子

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