ノボトニー・ジェローム、OMI ー 妊娠中絶容認の拡大解釈による弊害は世界中に広がっており、正義を守るべき塀の割れ目はどんどん大きくなっています。最近で最も衝撃的なものはアメリカでのニュースですが”ニューヨーク州知事は24週以降の妊娠中絶を許すという何とも凄まじい妊娠中絶の新しい法律に署名した”というのがその見出しです。このリプロダクトヘルス法と呼ばれる法律は24週以降の妊娠中絶を許す、つまり妊娠中のどの時点でも妊娠中絶を許可するというものです。
全く驚くべきことに、この法案は38対24でニューヨーク州上院を通過し、92対47で下院を通過したのです。何故驚くかと言えば、ニューヨーク州の住人は他の何処のアメリカ人より信仰深いはずだからです。ニューヨークの人口の40%がカトリックであり、30%がプロテスタントです。ユダヤ教徒と回教徒は少数派でそれぞれ8.5%と3.5%です。無宗教の人はわずかに13%しかいません。驚くべきことは70%の人はクリスチャンであり、同じ神を信仰しているはずなのです。どうしてこれ程多くの人が神に背を向け、神の最も神聖な被造物である胎児を壊滅しようとする候補者に投票しなければならないのでしょうか?想像してみてください。生まれたばかりの何の罪もない嬰児が冷酷にも殺されることを!
この法律が制定される以前に疾病管理予防センターは既に2013年のニューヨーク市における出生率にたいして59.8%という高い妊娠中絶率を示していました。ということは2017年12月のニュースバスターズが指摘したように3人に1人は殺されていることを意味します。
この写真は出産の前と後を撮影したものです。神の介入による奇跡的で美しい母と子の姿です。選別したり、意図的に生まれる前の子どもを殺すことは人道的に許されない犯罪です。子どもにいのちを宿す神への直接の冒瀆でもあります。写真を見ればわかりますが、1日前の赤子と1日後の赤子は同じ子で移動しただけです。
聖書によれば、赤子は神様にとっても特別な存在なので、誰であれ赤子を傷つける者はその逆鱗に触れるのです。妊娠は新しいいのちをこの世にもたらす美しい旅路であり、そうでなければ、私達の誰一人としてここに存在していません。
ローマカトリック教会は一貫して妊娠中絶を非難してきました ー それは故意に胎児のいのちを奪うことだからです。 カトリックは全ての人のいのちはその始まりの瞬間から自然な死に至まで神聖であると信じています。そして生まれる前であれ後であれ、無垢ないのちを殺すことは道徳的にも間違っています。教会は、人のいのちはその最初の瞬間から神の創造のみ業によるものであり、創造主である神だけがその終わりを司るという特別な関係は永遠に続くものであり、誰も無垢ないのちを勝手に奪う権利を主張する事など出来ません。(ドナム・ヴィテ,5)(カトリック要理,妊娠中絶)
基本的人権を事実上無制限の妊娠中絶の合法化により犯したかどで、ニューヨーク州知事を破門にすべきというクリスチャンの声にニューヨーク大司教であるティモシー・ドーラン枢機卿は以下のように答えました。「出産直後までの妊娠中絶を合法化したからと言って、アンドリュー・クオモ氏を破門するのは妥当でない」 何ですって?ドーラン枢機卿様、仰ることが良く分かりませんので、私達カトリックに分かるようにもう一度仰っていただけますか?「出産直後までの妊娠中絶を合法化したからと言って、アンドリュー・クオモ氏を破門するのは妥当でない」ワォ!このニューヨーク州知事アンドリュー・クオモは常に妊娠中絶を支持して来たあげくに、妊娠期間の全てに渡って、(つまり出産直後も含まれる)無垢な赤ん坊を殺すことを合法化したのです。カトリック教会をバカにしているではありませんか?にも関わらず「破門は妥当でない」と仰るのですか?この法律は間違いなくニューヨークが、妊娠中絶天国になる道を開きました。今もすでに新生児の3分の1が中絶されているのです。
クオモ氏がカトリックであることを公言し、教会への献金もきちんと納めている立派な信者だから、大司教が彼を支持するのかは疑問です。これが私たちのカトリック教会なのですか?ニューヨークの(そして世界中の)カトリック教徒とキリスト教徒はきっと困惑していることでしょう。悪魔はほくそ笑み、ドーラン枢機卿は「破門は妥当でない」と言って拒否しました。大司教は政治を離れて、生まれる前の子ども達をも含めた自分の群の羊飼いに戻るべき時です。大司教は今何が起こっているかを、この新しい法律が実際に何を意味しているかを分かっているのでしょうか?
- 出産の時までの妊娠中絶を許す。
- 妊娠中絶に失敗して”生きて生まれた子ども”はいかなる保護も受けられない。
- 医師でなくとも、妊娠中絶によって子どもを殺すことが出来る。
- 生まれる前の子どもは人間とは認めない。
- 妊娠中絶を許さないいかなる法律も禁止する。
この法律は二つの人権、つまり女性の人権と子どもの人権、いずれも神によって平等に与えられた二つの人権を巻き込んでいることも枢機卿は分かっていない。にも関わらずこの新しい法律は母親のいのちに価値を置いて、子どものいのちを否定していることもです。
クオモ氏は昨年、ニューヨークをして世界の妊娠中絶の中心都市としたいとの願望をはっきりと示しました。今や過激な妊娠中絶推進派はさらに大きな一歩を踏み出し、妊娠中絶反対派はニューヨークの住人として歓迎されない事をその報道記者室で発表しました。一人の政治家がある特定の人々について、彼らが単にいのちが神聖なものである事を信じているという理由だけで、ニューヨーク州に住んではいけないと言えるとしたら実にショッキングです。それは正にもう一人のヒットラーが彼にとって不用な階層の人々を非難しているのを見るかの様です。
アンドリュー・クオモは妊娠中絶の権利を擁護して勝利を祝い、彼の信仰の重要な価値をまばたき一つせずに却下しました。 彼は自ら邪悪であることを自ら暴露しました。世界のカトリック教徒は生まれる前の子どもを故意に殺す法律に投票した全てのカトリックの政治家に対してもですが、クオモのカトリック教会からの破門を、直ちに求めるべきです。今こそカトリックが生まれる前の子ども達のために立ち上がり、声を上げるべき時です。さもなければ神を否定することになります。”わたしに賛成しない者は敵対し、わたしと共に集めない者は散らしている” (マタイ:12・30)
聖霊は教会のカテキズムを通して、いのちと妊娠中絶について明白に教えています。
2270 人のいのちは受精の瞬間から完全に尊重され守られなければならない。人間はその存在の最初の瞬間から人としての権利を持っていることが認められなければならない。その権利とは全ての無垢ないのちは生かされるという神聖な権利である。”わたしは、あなたを母の胎内に造る前から あなたを知っていた。 母の胎から生まれる前に、わたしはあなたを聖別し…” (エレミヤ1・5)
2271 教会は最初から、あらゆる手段による妊娠中絶を不道徳であると断言して来た。この教えは変わること無く続いている。故意に為される妊娠中絶はその時期や方法に関わらず甚しく道徳に反している。”エンブリオ(妊娠8周目までの胎児)を殺してはならない、また嬰児を殺害してはならない”いのちの主である神はいのちを守るという崇高な使命を人に委ねたのであるから、人は人として相応しくそれを実行しなければならない。いのちは守られなければならない:妊娠中絶も嬰児殺しも忌まわしい犯罪である。
2272 妊娠中絶に公に協力する事は重大な犯罪である。 教会はこの人のいのちに対する犯罪を犯した信徒を教会法に従い破門とする。 ‘実行されてしまった妊娠中絶を仲介した者は破門を招く、教会は破門によって慈悲の領域を狭めようとしているのでは無く、むしろこの罪の深さをはっきりさせるために、殺された無垢の子どもとその両親、社会全体に取り返しのつかない損害を与えてしまう罪の重大さを示そうしているのである。”
2273 無実の人が持っている犯すことの出来ない生存権は市民社会に置ける立法の本質的な構成要素である。
“犯すことの出来ない人権は市民社会からも政治当局からも認められ尊重されるべきである” ”これらの人権は一人の個人によるのでもなく、また両親によるのでもなく、国や社会に受け入れられている事の象徴でもない。人権とは始めから人に備わっているべきものであり、人の起源である創造の美徳により人から切り離せないものである。この様な基本的な権利に囲まれて人は誰でも受精の瞬間から死まで、健全な生を生きる権利があると言う事である”
“この法律が人から生きる権利の保護を取り上げる時、市の立法が同調されるべき保護であるが、州は人が法の前に平等であることを否定するのである。州が市民の権利に奉仕するのでなければ、特にもっともか弱い立場の市民の権利に奉仕しないのなら、法律に基づくはずの、州の土台はむしばまれていく。 . . 生まれる前のこどもが、受精の瞬間から、尊重され守られることが保証されることにより、法律は子どもの権利を犯すいかなる暴力に対しても、それに見合った厳しい制裁を課すべきものとなり得るのである。
2274 受精の瞬間から人として扱われるべきであるから、エンブリオもその完全さが守られて、手当てを受け、他の全ての人と同様に治療を受けるべきである。
(カトリックのリーダーシップに期待する声が世界中から上がっている事を伝えて終わりたいと思います。)
- このような殺人を許す法律を合法化するという大罪を犯しアンドリュー・クオモを始めとして、他の支持者たちを名指しで非難するカトリック教区はニューヨークに無いのですか?司教や司祭たちの中に、カトリック信徒でありながらこの法律を作り支持した者を名指しで強く非難した人はいないのですか?カトリックの司教や司祭たちの中にこの法律を支持したカトリック教徒の政治家は聖体拝領を受けるべきでは無いと、公にハッキリと表明した人はいないのですか?カトリック教徒である政治家でこの法律を通した者は、公に改心しない限り破門されるべきであると言う教会法に従う司教も司祭もいないのですか?これらの何もしない司教や司祭たちは、無垢のいのちを守っていると主張しながら、そのいのちを守ってはいないのです。彼等は二枚舌を持っており、人々を大罪へと導いています。
- 祭壇に生贄を捧げることを”チョイス”と言います。あたかも大昔のイスラエル人が彼等の赤子や子どもたちを誤ってモレク神に捧げたように…
- 神よ、私たちにこの過酷な悪と戦う力をお与えください!
ノボトニー・ジェローム、OMI
(翻訳者 平塚幽香子)