ブラザー八木信彦, OMI ー 「召命」という言葉を聞くと、多くの人は司祭や助祭、修道者になることを思い浮かべることでしょう。確かにそれは、特別な意味での召命で、今まで一般的に使われてきた「召命」です。それに対して「固有の召命」という言葉も使われるようになりました。これは、神さまが一人ひとりに与えておられる、その人ならではの呼びかけで、結婚して家庭を築き、夫婦の愛と家族の絆を通して神の愛を証しする人であり、独身として社会の中で奉仕し、多くの人に仕える人の呼ばれ方です。しかし、一般的な「召命」や「固有の召命」のように、その人個人の召命ではない、すべての人に与えられている「共通の召命」というものがあるような気がするのです。
召命とは、単なる仕事や職業、役割ではなく、もっと深い意味があります。それは神さまから「呼ばれる」ことで、神さまとの関係の中で生きていくために「呼ばれた」ことです。私たちは、この世に偶然生まれてきたのではありません。神さまは一人ひとりを愛し、その愛のうちに、この世へと呼び出してくださいました。私たちの誰一人として、この世に自分から望んで生まれてきた人はいません。でも、私たちは例外なくすべての人は、神さまから呼ばれて望まれて渇望されて生まれてきたのです。言い換えれば、私たちは神さまから「必要とされている証拠」「愛されている証拠」として、この世に存在しています。私たち一人ひとりは「あなたがいてくれてホントに良かった!」と神さまが語りかけてくださって、この世に呼ばれた存在です。

だから私たちは、神さまがどれほど私たちを必要としておられるかを愛しておられるかを、自分の人生を通して触れ、感じ、気付き、わかり、証ししていきます。人それぞれ生き方は違いますが、神さまの愛をその人らしさを通して世界に現していくために呼ばれている、という点で皆同じです。それらに気づくとき、人は、周りの人々や環境ではなく、神さまが望まれた自分自身になっていきます。本来の自分自身へ、ありのままのかけがえのない自分自身へと帰っていきます。このために、私たち一人ひとりは、神さま(御父)の子として、神さまの似姿として造られ、神さまのいのちを映し出す存在として、魂(神さまの遺伝子)を吹き込まれ、神さまに呼ばれました。
そして、この呼びかけは、人生のどこかの一コマだけのものではありません。生まれたときも、日々を歩んでいるときも、そして最後に、この世の旅路を終えて神さまのもとへ帰るときも、神さまに呼ばれます。私たちの人生全体が、神さまの呼びかけに応えていく旅なのです。これこそが、すべての人に与えられている神さまからの呼びかけ「共通の召命」であり、「召命の本質」ではないでしょうか。











